ズートピア
2016/3/4 公開
ディズニー
①キャッチコピー『そこは、動物たちの≪楽園≫…のはずだった。』
②構想は監督のバイロン・ハワードが『ロビン・フッド』のような、擬人化され、服を着た動物が活躍する作品を作りたいと考えたことに始まった。
③当時並行して製作が進んでいた『シュガー・ラッシュ』や『ベイマックス』のような新しい世界観のものに対し、『ピノキオ』などのような"クラシカルな"ディズニー映画を現代の観客向けに作ることを監督は考えていた。
④登場する動物は哺乳類に限られているが、これは制作チームが各分野の動物学者から情報を収集する中で決められた。
⑤アニメーターらによる動物の調査はサンディエゴ動物園サファリパークやウォルト・ディズニー・ワールドの「ディズニー・アニマル・キングダム」で行われ、さらにはケニアへも赴いた。
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⑦映画に登場する動物たちは80万通りもの動きを見せる。
⑧登場人物の毛並みをよりリアルに見せるため、取材はロサンゼルス自然史博物館でも行われ、アニメーターらは様々な光の当たり方を確認しながらマイクロスコープを用いて間近で毛並みを確認した。
⑨各キャラクターには膨大な本数の毛が用いられ、ジュディとニックにはおよそ250万本前後に及ぶ。
⑩他のキャラクターではキリンが900万本、アレチネズミは48万本で、その他の小さな齧歯類でも40万本が使われた。
⑪助監督のジャレド・ブッシュは後に、「毛との戦いだった」と語っている。
⑫当初はニックを中心にズートピアの街を描くストーリーであったが、公開予定までおよそ1年半を切った2014年11月、ジュディとニックの立ち位置を逆転させた。
⑬ジュディを主役に置くという発想について、制作陣は「観客はズートピアという都市をジュディの視点、即ち『都会への憧れ』という目で見られる作品になった」と評した。
⑭サハラ・スクエアは、砂漠の動物たちが暮らすエリアで、地域の中心部はモンテカルロとドバイを元にデザインされている。
⑮ツンドラ・タウンは、寒冷地域の動物たちが暮らすエリアで、ロシア建築を模したタマネギ状のドームを持つ建物や、ホッキョクグマの住処である氷の洞窟をモデルにした氷雪マンションなで、雪と氷で構築されている。
⑯レインフォレスト地区は、熱帯雨林をモデルとしたエリア。
⑰リトル・ローデンシアは齧歯類など小動物が暮らす地域で、街並みはブルックリンを参考にして考案。
⑱サバンナ・セントラルはズートピアの中心都市エリアで、様々な種類の動物が暮らすサバンナがモデルとなっている。
⑲映画監督のバイロン・ハワードとジャリッド・ブッシュが廊下を荷物を持って歩くキャラクターとして登場。
⑳ビルの上の看板には、「preyda 」=「prada」、「just zoo it.」=NIKEの広告「just do it.」、「lululemmings」=「lululemon」といったファッションブランドが並ぶ。
㉑ネズミのマフィアのミスタービッグは、大人気マフィア映画のゴッドファーザーを真似たパロディになっている。
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①ズートピアの警察署に勤めるベンジャミン・クロウハウザーのほっぺに隠れミッキー。
②ズートピアの街並みに映画『ベイマックス』の主人公ヒロのおばさんのキャスが経営する喫茶店が登場。
③ズートピアで詐欺師のウィーゼルトンが売っていた海賊版DVDの一部に『ベイマックス』『塔の上のラプンツェル』『シュガー・ラッシュ』『アナと雪の女王』などがある。
④ゾウさん親子の子供二人が『アナと雪の女王』のアナとエルサの格好をしている。
⑤ベビーカーの中にミッキーのぬいぐるみがいる。
⑥警察署長のボゴが『アナと雪の女王』の主題歌「let it go」を口にする。
塔の上のラプンツェル
2010/11/24 公開
ディズニー
①キャッチコピー『私は知りたい――新しい世界を。』
②ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ初の「3Dで描かれるプリンセスストーリー」。
③原作はグリム童話の『ラプンツェル(髪長姫)』。
④本作のヴィジュアル・スタイルは、フランスロココの芸術家であるジャン・オノレ・フラゴナールによる絵画『ぶらんこ』をベースとしている。
⑤塔の上のラプンツェルの原案は、映画が公開される14年前からグレン・キーン(ディズニーアニメーター)が1人で温めていたアイディアであった。
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⑦公開時期は2007年を予定していることが明かされたが、キーンの「物語をつくるための時間がもっと欲しい」という要望により、公開時期が2009年へ延びることになった。
⑧マイケル・アイズナー(ウォルト・ディズニー・カンパニー最高経営責任者)からだされた「現代のサンフランシスコに住むヒロインが童話の世界に入り込む」という提案に対して、キーンが上手く対応できなかったり、トラブルもあり、塔の上のラプンツェルの企画は頓挫してそのまま放置されていた。
⑨2006年にウォルトディズニーアニメーションスタジオに配属されたキャットムルとジョン・ラセターによって企画が再び動き出した。
⑩彼らの最初の仕事はキーンをこの企画に引き留めておくことだった。
⑪2007年4月、監督がグレン・キーンとディーン・ウェリンズであると発表されたが、2008年10月には監督が交代したことが発表。
⑫キーンは製作総指揮、スーパーバイジング・アニメーター、キャラクター・デザイナーを担当することになった。
⑬監督を辞退して製作総指揮に回ったのは、2008年に心臓発作に見舞われており体調が優れなかったからだと述べている。
⑭グレン・キーンは当初、塔の上のラプンツェルを2Dアニメーションで作成したいと考えていたが、スタジオ側は3DCGで作成することを要求した。
⑮作品の方針について討論した結果、3DCGアニメーションで作成することが決まったが、ディズニーの伝統的な2Dアニメーションの美的センスを3DCGで再現するというテーマが掲げられた。
⑯キーンは「3DCGによる手描き絵」「鉛筆で描いたような質感」を目指したと語っている。
⑰キーンは「我々が求めていたのは“写実的な髪の毛”ではなく“温かみのある髪の毛”であり、それを実現するための方法を開発した。私は温かく直感的な手描き絵の質感を3DCGで表現したかったのだ」と語っている。
⑱髪の毛の表現を満足なものにするのは困難であり、2010年1月の時点でも製作チームはこの問題について悩んでいたが、同年3月に彼らがDynamic Wiresと呼んでいる技術が完成し、この問題は解決された。
⑲前作の『プリンセスと魔法のキス』(2009年)は、高い評価を得たが、ディズニー社が予想していたよりも低い収益であり、原因は「プリンセス」を強調しすぎていたために男子層からあまり支持を得られなかったことにあると考えた。
⑳ディズニーは男女両方へ映画を売り出すために、男性キャラクターのフリン・ライダーを強調し、また、タイトルを『ラプンツェル』(Rapunzel)から『タングルド』(Tangled)に変更した。
㉑グレン・キーンによると、フリンのデザインを決めるために、多数のフリンのデザイン案を壁に貼って女性たちの意見を聴くという会議が行われたとのこと。
㉒キーンはフリンのデザインについて「筋肉質過ぎても美形過ぎてもいけない。温かみをたたえた目にしたかった」と語っている。
㉓ゴーテルの服のデザインは物語の時代設定よりさらに400年前の服を参考にしている。
㉔映画に登場する灯りだが、インドネシアなどでは実際に空に灯りを飛ばす風習があり、監督のバイロン・ハワードはその光景をインターネットで見て感動し、この灯りを映画の名シーンに採用したと語っている。
㉕今までのディズニーのアニメーション映画の中で最も多くの群集が登場し、村のシーンには3000人の群衆が描かれている。
㉖ラプンツェルの髪の毛のアニメーションの作成には、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのソフトウェアエンジニアであり、大学で髪の毛の研究をしていたケリー・ウォードが協力している。
㉗ウォードは髪の毛の動きや光の当て方に詳しく、ウォードが開発に協力したソフトウェアによって手描きのアニメーションとシミュレーションを調和させることができるようになった。
㉘秘密の谷はフランスのロカマ・ドゥール、王国はモン・サン・ミッシェルから影響を受けていた。
㉙制作初期の段階ではカメレオンのキャラクター”パスカル”の通常の色は紫と青だったが、後にアーティストたちがラプンツェルの髪や洋服にはグリーンのパスカルの方が映えると判断。
㉚監督の一人であるネイサン・グレノが酒場にいるキャラクターとしてカメオ出演し、左手のタトゥーはそのまま採用。
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①ラプンツェルとフリン・ライダーが迷い込んだ酒場の柱にピノキオが座っている。
②酒場の男たちの間に一人ぽつんといるイノシシはライオンキングのプンバァが基になっている。
③王国の祭が始まる前にラプンツェルとフリン・ライダーが本を読み漁っているシーンの窓際には「眠れる森の美女」の本が開いてある。
④ラプンツェルの育ての親マザー・ゴーテルは「白雪姫」の魔女がモチーフ。
⑤ラプンツェルの実の母の胸元のネックレスがミッキーの形。
モンスターズ・インク
2001/11/2 公開
ピクサー
①キャッチコピー『オレたちモンスター、恐がらせのプロ!』
②ピクサー作品では初めてジョン・ラセターが製作総指揮に回り、ピート・ドクターが初監督を務めた。
③日本での上映は2002年3月2日から始まったが、大好評のため大幅に延長され同年7月中旬までのロングランとなった。
④2013年7月14日にテレビ朝日系『日曜洋画劇場』で放送された際、サリーとマイクの字幕はそれぞれの体の色にちなみ水色と黄緑で表示された。
⑤公開時のCMでは『トイ・ストーリー2』の劇中歌『ホエン・シー・ラブド・ミー 』が使われた。
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⑦店員のモンスターが歩道を掃除している「Hidden City Cafe」は実在するコーヒーショップで、1994年にトイ・ストーリーを製作中だったピクサーのクリエイターであるジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン、 ピート・ドクターらがこの場所で作品について語り合った記念すべき場所。
⑧ゲートが開き、モンスターたちが作業場に入ってくるシーンで、サリーを先頭に多くのメンバーがスローモーションで登場するこのシーンは映画「アルマゲドン」がモチーフになっている。
⑨大画面スクリーンに社員の名前と成績が表示されるシーンの3位のランフトはピクサーの脚本家で、トイ・ストーリーも担当したジョー・ランフト、最下位のガーソンはモンスターズ・インクの脚本を担当したダン・ガーソンが由来となっている。
⑩作業場のデコレーションで風船などと一緒に吊るされたメッセージの紙ビラには「THINK FUNNY 面白く考える」と書かれているが、これはアップルの創業者であり、ピクサーの生みの親でもあるスティーブ・ジョブスの有名なキャッチ・フレーズ「THINK DIFFERENT 発想を変える」が由来となっている。
⑪マイクが小包から本を取り出すシーンでは、本の裏表紙にアップルコンピューターの写真があり、その下には「Scare Different 怖がらせ方を変える 」と書かれているのが分かる。
⑫マイクとセリアがデートをする寿司レストラン「ハリーハウゼン」は、著名モデルアニメーターであるレイ・ハリーハウゼンの名前に由来している。
⑬モンスターたちが怖がらせの練習を行うシミュレーターのコントロールパネル上にピクサーの電話番号 “510-752-3000” が小さく表示されている。
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①ランドールが追放されたドアの行き先である人間界は、バグズ・ライフに登場する虫の街があるトレーラーハウスと同じセット。
②そのトレーラーハウスを引く車が、全てのピクサー作品に登場するピザプラネット。
③トレーラーハウス内には映画『ファインディング・ニモ』のニモがいる。
④サリーがブーを部屋に戻して別れる場面で、部屋に散らかった玩具の中に『ファインディング・ニモ』のニモ、『トイ・ストーリー2』のジェシーとアルファベットブロック、ピクサーのショートフィルムのボールが登場する。
⑤ピクサー次回作の『ファインディング・ニモ』のニモがたびたび登場する。
⑥NG集で、朝の通勤シーンにて『トイ・ストーリー』のレックスが登場する。
⑦マイクが子供を笑わせるシーンの時、子供の部屋にトゥモローランドとピクサー短編の『バウンディン』のポスターが貼ってある。
⑧サリーとマイクが通勤する途中、モンスターが新聞を燃やす場面で、後ろの店には『ピノキオ』に登場するクジラ、モンストロのポスターが貼ってある。
⑨扉の中に『トイストーリー』のシドの部屋に貼ってあるポスターが見える部屋がある。
⑩ランドールの登場シーンで、青い空と雲の壁紙に体の色を合わせるヒトコマがあるが、この壁紙は、『トイ・ストーリー』のアンディの部屋の壁紙と同じ。
⑪寿司屋でマイクがデリバリー用の箱の中に埋もれるシーンで、バグズ・ライフ、トイ・ストーリー2、インサイドヘッドなど他の作品にも度々現れている中華料理屋の箱が登場する。
⑫ブーがトイレで歌っていた歌は『美女と野獣』の挿入歌。
アラジン
1992/11/25 公開
ディズニー
①キャッチコピー「愛は冒険を生む。冒険が愛を育てる。」・『千夜一夜物語』の『アラジンと魔法のランプ』を原案としている。
②アニメーターチームはロビン・ウィリアムズのコメディアルバムを参考にして、ジーニーのテストシークエンスを制作。
③その後、ロビン・ウィリアムズがその場面の試写に現れ、そのシークエンスに可能性を感じたことがひとつの決めてとなり、ロビンとの正式契約に至った。
④アラジンを担当していたアニメーター、グレン・キーンは、アラジンがただのシンボルではなく、ジャスミンが恋せずにはいられないキャラクターとして描くことを心がけていた。
⑤監督と脚本家がカメオ出演している。
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⑦魔法の絨毯で世界中を旅するシーンで流れる曲『ホール・ニュー・ワールド』はアカデミー歌曲賞を受賞。
⑧1994年続編としてOVA作品『アラジン ジャファーの逆襲』が発売。
⑨ディズニー史上初めて劇場公開されずに直接ビデオスルーになった作品。
⑩1996年『アラジン』、『アラジン ジャファーの逆襲』の続編作品『アラジン完結編 盗賊王の伝説』のビデオが発売。
⑪日本では劇団四季が上演権を取得し、2015年上演。
⑫2019年実写リメイク作品が公開。
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①国王サルタンのおもちゃの中に、「美女と野獣」の野獣が隠れている。
②ジーニーの指を挟むザリガニは「リトルマーメイド」のセバスチャンであり、取り出した瞬間に「Under the Sea」が流れる。
③ジャファーを倒した後、魔法が解けてラジャーの姿が変わっていくシーンで、ラジャーの顔が一瞬ミッキーになる。
④ジーニーは劇中でピノキオにも変身する。
⑤ジーニーが偶然グーフィーの帽子をかぶっているシーンがある。
⑥市場でジャスミンが買い物している時、ジャスミンの頭上にミッキーの形をしたひょうたんが映っている。
わんわん物語
1955/6/16 公開
ディズニー
①原題Lady and the Trampを直訳すると「お嬢様と風来坊」という意味で、当初は「貴婦人と浮浪者」という邦題で公開予定だった。
②そのため、当時の日本の映画雑誌にはこの題で記載されているものもある。
③わんわん物語の原案は1937年、ウォルト・ディズニー・プロダクションのスタッフであったジョー・グラントによって作成された。
④グラントがウォルトを自宅に招いた際に、飼っていたアメリカン・コッカー・スパニエルのスケッチを見せたら、ウォルトはこれを気に入り、この犬を主人公にしたストーリーボードを作成してみてはどうかと提案された。
⑤それ以来、1940年代初め頃までグランドとスッタフたちはこの犬を主人公にした物語を作っていた。
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⑦しかしそのストーリーボードはウォルトを満足させるものではなく、プロジェクトは棚上げされた。
⑧数年後、ウォルトはCosmopolitan誌に掲載されていたウォード・グリーンの短編小説"Happy Dan, The Whistling Dog"を読み、「この小説に書かれているような気ままに生きる犬をグラントのストーリーに登場させればおもしろくなるのではないか」と考えた。
⑨1949年にジョー・グラントはウォルトとの意見の相違からウォルト・ディズニー・プロダクションを退社してしまう。(1980年代に復帰する。)
⑩その後、ウォルトはウォード・グリーンに自分たちが進めているプロジェクトを説明し、レディとトランプを主人公とした小説の執筆を依頼。
⑪1953年に出版されたこの小説が原作となったため、原案を作成したのがグラントであるにもかかわらず、彼の名前はこの映画にクレジットされていない。
⑫それまでのディズニー映画は『白雪姫』や『ピノキオ』といった童話が原作だったが、本作は完全オリジナルストーリーである。
⑬およそ20年の歳月と300人のアーティスト達の手によって完成。
⑭この頃、ウォルトはディズニーランド設計及びテレビ番組・『ディズニーランド』出演の為、あまり本作に集中出来ず脚本家のアードマン・ペナーと総監督のケン・ピーターソンが共同で支えていた。
⑮『シンデレラ』から続いたウィルフレッド、ハミルトン、クライドの3人共同監督の最終作となった。
⑯トランプとレディがスパゲッティを食べている最中に偶然キスをするシーンは有名であり、イギリスのTotal Film誌が選出した「映画史に残る最高のキスシーン50」では第8位に選ばれた。
⑰当初ウォルトは犬がスパゲッティを食べるというこのシーンに対して否定的だったが、フランク・トーマス(元ウォルト・ディズニー・プロダクションのアニメーター)が作成したアニメーションを見て考えを変えた。
⑱映像には様々な工夫が凝らせていて、基本的に犬の視点からのアングルで描かれている為、人間の登場人物はその顔や表情が映されることが少なく、多くが腰から下の映像である。
⑲特にジムとダーリングは主人公の飼い主であるにもかかわらずはっきりと顔が映る場面はほとんど無いに等しい。
バンビ
1942/8/13 公開
ディズニー
①フェーリクス・ザルテンの『バンビ』を原作とする。
②舞台は北アメリカ大陸に、主人公のバンビはヨーロッパの原作での小型のノロジカから、北米の大型のアカシカに置き換えられている。
③ウォルト・ディズニーは、幼い動物たちの声は子供たちが担当するべきだと早くから主張していた。
④『バンビ』公開当時は、大人の声優が子供の声真似をして吹き替えることが一般的だったため、『バンビ』は異例のケースだった。
⑤鹿には人間のような顎がないため、喋る描写表現が特に難しいパートだったと言われている。
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⑦森のシーンや山火事のシーンには、『ピノキオ』でカットされた映像がいくつか使われている。
⑧撮影中、ディズニースタジオは2頭の鹿をペットとして飼って、動きや行動を研究していた。
⑨続編は『バンビ2 森のプリンス』(2006年)。
ダンボ
1941/10/23 公開
ディズニー
①日本では『空飛ぶゾウ ダンボ』という題名で1954年3月21日に公開。
②『ピノキオ』、『ファンタジア』の赤字補填を目的に低予算で制作されたという。
③ダンボが公開された1941年10月時点で、既に欧州で第二次世界大戦が始まっており、日米間の緊張がピークに達し、太平洋戦争の勃発が間近に迫っていた時期でもあった。
④真珠湾攻撃直後のアメリカを舞台にしたコメディ映画『1941』では、米陸軍のジョセフ・スティルウェル将軍が劇場で公開中の『ダンボ』を鑑賞し、母子の愛情に涙するシーンがある。
⑤映画が公開された1941年、『タイム』誌は、毎年恒例の「マン・オブ・ザ・イヤー」(良くも悪くもその年の出来事に最も影響を与えた人物)にダンボを選出し、表紙にダンボの肖像画風の絵を掲載する予定だったが、12月7日の真珠湾攻撃を受けて、急遽フランクリン・ルーズベルト米大統領に変更された。
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⑦1970年代中頃に、富士フィルムと東宝の提携により8ミリ映写機を対象とした、本作のフィルムソフトが市販されたことがある。
⑧フィルムソフトは20分弱に再編集されたものであり、本来ならストーリーの途中となる場面でエンドクレジットが表示された。
⑨2019年3月29日に『ダンボ』を原作とする実写映画が公開。
ピノキオ
1940/2/7 公開
ディズニー
①原作はカルロ・コッローディ作の童話『ピノッキオの冒険』。
②前作『白雪姫』が大ヒットをした後、「再び同じような映画を」という依頼がウォルトに多数寄せられたが彼はそれを拒否し、前作とは異なる冒険物語である「ピノキオ」を選んだ。
③原作は社会風刺小説であり、ピノキオは悪戯っ子で、子供っぽい性格がみられ、白雪姫のような華がなかったため、夢のある物語にするのは容易ではなかった。
④ウォルトはストーリー作りに数か月も悩み、すでにアーティストたちは作業に入っていたにもかかわらず制作を一時中断する。
⑤ピノキオは無邪気な性格に変更。
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⑦制作が再開された後も熟考を重ね、2年の歳月を経てついにテンポのよい夢と希望にあふれた冒険物語が完成した。
⑧前作『白雪姫』のように莫大な制作費を掛けたが公開当時はヒットに至らず会社は大赤字。